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東京高等裁判所 昭和62年(ネ)563号 判決 1989年5月24日

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の本訴請求を棄却する。

三  本判決添付別紙物件目録(一)記載の土地につき、控訴人が所有権を有することを確認する。

四  被控訴人は、控訴人に対し、右土地につき昭和二八年一月二六日時効取得を原因とする亡神保酉之介に対する所有権移転登記手続をせよ。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じ、本訴反訴とも、被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  主文と同旨

2  主文第四項についての予備的請求

被控訴人は、控訴人に対し、本判決添付別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)につき昭和三六年一〇月三〇日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

ただし、原判決主文第一項の原判決添付別紙目録(二)を本判決添付別紙物件目録(二)のとおり訂正する。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれをここに引用する。

一  原判決二枚目裏七行目の「別紙目録(二)」を「本判決添付別紙物件目録(二)」と改める。

二  同三枚目裏二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「(4) 酉之介は、右のように辰五郎より本件土地の占有を承継したが、他面において、辰五郎の死亡した昭和二八年一月二六日、本件土地を所有の意思をもって平穏公然に新たに事実上支配し占有を開始したものであり、固有の占有をもっている。すなわち辰五郎は本件土地上の建物に居住し、酉之介とその家族は右建物と道路を隔てた反対側にある旧母屋に居住していたが、辰五郎の死亡後酉之介は、家族とともに旧母屋から本件土地上の建物に移住し、かつその際右建物に大増改築を施したのであり、この事実によると、酉之介は承継した占有のほかに新たな占有を有していること及び酉之介は本件土地が辰五郎の所有に属し、遺産に属するものと信じていたので、その占有が所有の意思をもってされたことは明らかである。」

三  同三枚目裏末行の末尾に続けて次のとおり加える。

「よって、控訴人は被控訴人に対し昭和二八年一月二六日時効取得を原因とする亡酉之介に対する所有権移転登記を求めうる。なお、民法一八七条一項は、相続のごとき包括承継にも適用されるのであり、控訴人は、その選択により、酉之介の占有のみを主張することができるものである(最高裁昭和三七年五月一八日判決)。このことは、時効援用者において時効の起算点を選択し時効完成の時期を早めたり遅らせたりすることはできないとの判例(最高裁昭和三五年七月二七日判決)に牴触するものではない。」

四  同四枚目裏三行目の「意思をもって」の次に「平穏に」を、同四行目の「すなわち、」の次に「本件においては、外形的客観的にみて占有者たる辰五郎、酉之介及び控訴人が被控訴人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される次のような諸事情がある。」を、同五枚目表七行目の次に行を改めて「(三) 辰五郎、酉之介及び控訴人は、本件土地の固定資産税を支払うことが可能であったのにもかかわらず、辰五郎が占有を開始した昭和初年から現在に至るまで、一切これを負担しておらず、所有者であれば当然とるべき行動に出なかった。」をそれぞれ加える。

五  同五枚目表末行の末尾に続けて次のとおり加える。

「酉之介は本件土地の固定資産税を支払っていなかった(被控訴人も支払っていない)が、本件土地、建物の住居表示は、登記簿上の表示と齟齬しており、最近に至るまで「茨城県多賀郡十王町大字友部字風早八二三番地の一」と表示されていたものであるところ、酉之介は、本件土地の占有開始以来、本件土地を右八二三番地の一の土地と信じて、同土地についての固定資産税を支払ってきた。」

第三  証拠<省略>

理由

(本訴について)

一  請求原因について

被控訴人の父鈴木彰(以下「彰」と略称する。)がもと本件土地の所有権を有していたこと、昭和三六年一〇月三〇日右土地につき同月二六日贈与を原因とする彰から被控訴人への所有権移転登記が経由されていること、控訴人が本件土地上に本判決添付別紙物件目録(二)記載の建物(本件建物)を所有して本件土地を占有していることは、いずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被控訴人は昭和三六年一〇月二六日父彰から本件土地の贈与を受けたことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

二  控訴人は先代神保酉之介(以下「酉之介」という。)が本件土地を時効取得した旨主張するので判断する。

1  本件土地の占有、使用状況、控訴人家と被控訴人家の折衝等の経緯につき、<証拠>、当事者間に争いない事実を総合して次の(一)ないし(五)の事実を認める。右認定に抵触する前記証人冨田冨三郎、同鈴木英子、被控訴人本人の各供述の一部は、いずれも措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 茨城県多賀郡<住所省略>の土地は、被控訴人の父鈴木彰が所有していたが、大正一四年二月同人により同番の一と同番の二に分筆された。同番の二が本件土地である。

(二) 控訴人の祖父神保辰五郎(以下「辰五郎」という。)は右分筆後間もないころ、本件土地の耕作を始め、昭和八、九年ころまでには、右土地上に約三、四〇センチメートルの高さの土盛りをし、隣地である同所七八九番一の土地との境界線に沿って石垣を築いたうえ、本件土地上できゅうりの促成栽培を行い、さらに二、三年後に、同土地上に物置小屋を建築し、間もなく餅を撒くなどの棟上祝いをして近隣に披露したうえで右建物を隠居のための住宅に改築し、以後昭和二八年一月二六日死亡するまで右住宅に居住していた。

(三) 本件土地を辰五郎が彰から買い受けて所有しており、辰五郎の相続財産と思っていた同人の子の酉之介は、辰五郎の死亡直後、それまで居住していた約三〇メートル位離れた神保家の旧母屋から家族と共に辰五郎の居住していた本件土地上の建物に移り住み、間もなく右建物の約半分を取り壊して増改築(その結果、本判決添付別紙物件目録(二)記載の主たる建物(本件建物)となる。)するとともに、新たに納屋(同目録(二)記載の付属建物(2)の納屋、なお同目録(二)記載の付属建物(1)の倉庫は辰五郎の死亡前にすでに建築されていた。)を建て、以後昭和五六年一〇月二六日同人が死亡するまで継続して本件建物に居住し本件土地を占有していた。

(四) 控訴人は六人兄弟の末子として両親、兄、姉と共に本件建物に居住して成長したが、酉之介の死後、遺産分割協議により同人の権利を相続して本件建物に居住している。酉之介の相続人である控訴人らも本件土地は辰五郎において買受け所有していたものと信じていたものである。

(五) 彰及び同人から昭和三六年本件土地の贈与を受けた被控訴人と辰五郎、酉之介及び控訴人との間において、前記辰五郎の占有開始から現在に至るまでの長年月の間に本件土地につき賃料が授受されたことは全く無く、彰及び被控訴人は、昭和三二年ころまで本件土地の隣地である前記七八九番一の土地上の建物に居住し、その後同土地を唯一の自己所有耕地として耕作していたため、本件土地の占有状況を十分に認識していたが、辰五郎や酉之介との間において、右各建物の建築及び大巾増改築による本件土地の使用について特段の紛争が起きたことはなかった。また、被控訴人は、酉之介が本件土地を占有していた間、同人に対し本件土地の明渡しや賃料の支払を請求したことがなく、同人の死後も本訴提起のころまで、神保家の者に対し自ら能動的に右明渡等を働らきかけたことはなかった。

2  辰五郎の本件土地の右占有、使用につき、控訴人は、辰五郎が右土地を買受けたことに基づくものであると主張し、一方被控訴人は辰五郎は右土地を賃借したものであると主張するところ、右各主張にそう原審における双方本人尋問の結果の一部、同鈴木英子の証言の一部は信用し難く、1の諸事実に照らすと、いずれの主張を正当とすべきかを確証するに足りる証拠はないというほかはない。

3  ところで、相続人は民法一八七条一項の承継人にあたり、自己の占有のみを主張することができ(最高裁昭和三七年五月一八日判決)、また、被相続人の占有が自主占有でなかった場合においても、相続人が、被相続人の死亡により相続財産の占有を承継したばかりでなく、新たに相続財産を事実上支配することによって占有を開始し、その占有に所有の意思があるとみられるときは、相続人は民法一八五条にいう新権原により自主占有を始めたものであるというべきである(最高裁昭和四六年一一月三〇日判決)ところ、前記1で認定した事実によると、辰五郎の子酉之介は、本件土地は辰五郎が買受け所有していたものであり、同人の死亡により相続人である自己がその所有権を取得したと信じて、辰五郎の死亡直後他から本件土地上の建物に移住し、右建物に大改築を施したのであり、まさに、同人は相続を契機に新たに相続財産を事実上支配することによって占有を開始し、同人の右占有には所有の意思があるとみられるときにあたるというべきであり、右占有が平穏公然裡に始められたことも明らかである。

4  しかし、被控訴人は、本件においては、右3の認定判断に抵触する事実、すなわち、外形的客観的にみて、辰五郎及び酉之介が被控訴人の本件土地についての所有権を排斥してこれを占有する意思を有していなかったものと解される諸事情(最高裁昭和五八年三月二四日判決参照)がある旨主張するので以下検討する。

(一) まず、被控訴人は、父彰は、辰五郎に対し本件土地を期間一年と定め、きゅうり栽培の目的で賃貸したが、同人は期限に右土地を返還せず、暴言、暴力をもって土地明渡しを拒否し、同人の死後、酉之介も同様に暴力で右明渡しを拒み、話し合いに応じない旨主張し、<証拠>の各一部にはこれに副う部分がある。

しかし、右各供述はいずれも信用し難く、他にその証拠はない。前記1の諸事実に照らすと、右主張のような事実を認めることはできない。

(二) つぎに、被控訴人は、(1)酉之介の死亡後の昭和五六年、控訴人の兄神保博道が被控訴人に対し本件土地を売って欲しいと申し入れてきたことがあり、(2)また、昭和五七年一〇月ころ控訴人の兄神保隆が訴外冨田冨三郎を伴って、被控訴人に対し本件土地の賃借を申し入れ、双方協議ののち賃料月五〇〇〇円で賃貸借することが決ったが、期間についてだけ合意ができず契約不成立となったことがある旨主張する。

しかし、右主張(1)については、これに副うかのような<証拠>の各一部(ただし、いずれも博道の右申入れの時期は、酉之介の死亡前である昭和五六年五月ころという。)は、<証拠>に照らして措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。なお、被控訴人は右本人尋問において、昭和五七年ころ博道と隆が連れ立って被控訴人方を訪れ、本件土地を貸して欲しいと申し入れてきたことがある旨供述するが、これも<証拠>と矛盾し、たやすく措信できない。

そして、右主張(2)については、なるほど<証拠>を総合すると、博道から本件土地に関して被控訴人との交渉を依頼された冨田冨三郎は、昭和五七年一〇月ころ博道の弟であり控訴人の兄である隆を伴って被控訴人方を訪れ、冨田が主となって被控訴人との間で本件土地の賃借についての話し合いを行い、その後も冨田は一人で数回にわたり被控訴人との交渉を重ねたことが認められ、また、右各供述に当審における証人神保孝夫の証言を併わせると、控訴人の叔父神保孝夫は、昭和五七年八月ころ隆と共に被控訴人方に赴き、同人に対し、金銭を支払うので本件土地の登記簿上の所有者名義を移転して欲しいとの申入れをしたが、被控訴人はこれを拒否したことが認められ、これらの事実は、一見、控訴人ひいては酉之介が本件土地につき所有の意思を有していなかったのではないかとの疑問を抱かせる事情であると考えられる。

しかしながら、<証拠>によれば、控訴人を含む酉之介の相続人全員は、酉之介の死亡後の昭和五七年八月同人の遺産分割について協議をし、本件土地は先々代において被控訴人先代から買い受け、酉之介の所有物となっており同人の遺産の一部であるとしてこれを控訴人に相続させることを合意したが、そのころまでに、本件土地の地番の表示の正確性については疑問を残しながらも、本件土地の登記簿上の所有者名義が被控訴人方に残り、現在被控訴人名義となっていることを聞知したため、平穏裡に事を解決するため、博道の提案で、地元の古老である冨田に右登記名義変更の交渉を依頼することとしたこと、博道は、その後間もなく冨田方に赴いて同人に対し右登記名義変更の交渉を依頼し、円満な解決のため、いわゆる判つき料として二、三〇万円を被控訴人に支払う用意があることを申し添えたこと、冨田は、右依頼に基づき被控訴人と前記の話し合いをしたものであること、しかし結局、被控訴人が本件土地の所有権を有することを強く主張しそれを前提とする解決を求めたため、話し合いが決裂し、控訴人は、裁判所に対し昭和五八年五月本件土地につき処分禁止の仮処分申請をしたことが認められ、これらの事実及び前記二1認定の諸事実に照らすと、冨田の被控訴人との交渉や孝夫の登記名義変更の申入れは、いずれも、本件土地が酉之介の遺産の一部であることを前提として穏便にその所有権移転登記を実現せんとする酉之介の相続人らの意向に基づき、話し合いによる事態の円満解決を図るために採られた行動であって、冨田による前記賃貸借の交渉は、冨田が円満解決を目ざすあまり独断で事を処理しようとしたか、博道の依頼の趣旨をとり違えた結果行われたものであると認めるのが相当であり、冨田や孝夫の右各行動をもって、控訴人ひいては酉之介に本件土地についての所有の意思がなかったものとまで解することはできないといわざるを得ない。

(三) さらに、控訴人は、辰五郎、酉之介及び控訴人は、本件土地につき固定資産税を支払うことが可能であったにも拘わらず、これまで一切これを負担したことがない旨主張し、酉之介が右租税を支払ったことがないことは当事者間に争いがない。

しかし、<証拠>によれば、本件土地上に存在する本件建物の登記簿上の所在地は、昭和六一年まで茨城県多賀郡十王町大字友部字風早八二三番地の一と表示され、また昭和二八年ころから昭和五六年死亡するまで右建物に居住していた酉之介の住居地も同所八二三番地または同所八二三番地の一と表示されていたものであるところ、酉之介は、昭和五六年まで右八二三番一の土地につき固定資産税を納付し続けていたこと、ところが、右八二三番一の土地は法務局備付の公図上に全く記載がなくその所在地が判然としないうえ、右八二三番の土地は本件土地から約二〇〇メートルも離れた位置に存在しており、酉之介は、右両土地を使用占有したことが全くなかったことがそれぞれ認められ、当審における被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。右事実によれば、酉之介は右八二三番一の土地の固定資産税を本件土地のそれと思い込んで支払ってきた可能性が強いのであり、単に酉之介が本件土地の固定資産税を負担しなかったとの前記事実だけから酉之介の所有の意思を否定することは困難である。

(四) 右のとおりであり、被控訴人の右各主張は失当であり、他に3の認定判断を左右するに足りる事実はない。

三  結論

以上の事実によれば、酉之介は、平穏公然裡に本件土地の自主占有を始めたものであり、右占有開始から二〇年を経過した昭和四八年一月二六日本件土地の所有権を時効取得したものというべきである。そして、同人は右時効取得をその時効の完成時に本件土地の所有者であり登記名義人であった被控訴人に主張しうるものであるところ、酉之介の相続人である控訴人が本訴において右取得時効を援用したことは当裁判所に顕著である。そうすると、被控訴人がなお右土地の所有権を有することを前提とする本訴請求は失当であり、棄却を免れない。

(反訴について)

前記本訴事件について認定、判断したとおりであり、控訴人は、酉之介が起算日である昭和二八年一月二六日に遡って時効取得した本件土地の所有権を相続により承継取得したものというべきであるから、時効完成時における本件土地の登記簿上の所有名義人である被控訴人に対し、本件土地につき、控訴人が所有権を有することの確認と酉之介の右時効取得を原因とする所有権移転登記手続をすることを求める控訴人の反訴請求(主位的請求)はいずれも正当としてこれを認容すべきである。

(結論)

よって、右と結論を異にする原判決を取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却し、控訴人の反訴請求(主位的請求)を認容することとし、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田尾桃二 裁判官 仙田富士夫 裁判官 市川頼明)

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